2010年12月29日
今日からオッサンも正月休み。
っていうか、先週も半分以上休んでたじゃない・・・。

1日の中で2時間しか働いていないとはいえ、
この時期丸一日、家にいないのは、ちょっと家事がおろそかになる。
やらなければいけないことが山ほどあるのに、時間が足りない感じ。
うう・・・焦るわぁ、どきどき。






さて、記録も兼ねて先週のことを振り返り日記。
面白い話ではないし、超個人的な感情の記録のため
スルーしていただいて構いませんよー。
それぞれの日付の日記には、
日記用のメモで残しておいたものをupしてあります。


12月21日(火)
夕方、オッサンのもとに、祖母の危篤の報せが入る。
祖母は11月初旬から入院していて
実はワタシ達は、祖母がもう長くはないであろう、ということは聞いていた。
だから、9月先月も帰省していたのだ。
先月、ワタシ達が帰省していたときは、
ちょうど病院から外泊を許可されて自宅に戻っていた。
元々細くて小さい人だったけど、9月に会った時よりさらに小さくなっていた。
そしてあんなに喋りっぱなしだった人が、少し喋るだけでも苦しそう。
それでも後々聞くと、あの日、自宅に帰るとワタシ達がいてとても楽しかったから
と、その翌週も自宅に帰りたいと言っていたそうだ。
しかし、12月に入り、少しずつ、だが、確実に容態は悪化。
3日と空けずに義母から報告が入り、心配をしていた。
そして、昨日も。
東京と浜松に住むオッサンのイトコは、それぞれ今日の昼に帰省したようだ。
そして、いよいよ、危険な状態になり、あと10時間もつかどうか、だと
義母から連絡が入ったのが、夕方。
だが、おばあちゃん子のオッサンは最期を看取るのはツライと帰省を迷っていた。
しかし、すぐ帰ろう、と、迷っていたオッサンの尻を叩き、支度をした。
先週、ワタシがした後悔を、オッサンにさせたくない。
いまならまだ間に合うかもしれないのだから。

高速道路は一時、激しい雨のため速度制限があったけれども
なんとか深夜にオッサンの地元に到着。
そのまま病院へ向かい、叔父に案内され祖母の病室へ。

祖母の息はまだあった。間に合った。
祖母はうっすら目を開け、ワタシ達を認め、
義母が「だいちゃんとはにちゃんやで、わかる?」と聞くと
力強く頷いた。
何か喋りたそうだったが、声にならない。
大丈夫やで、と叔父やオッサンが声をかけると、うんうんと頷く。
手を握ると、弱弱しくも握り返してきてくれる。

医師が夕方に「10時間程度」と言っていたが、
そのタイムリミットはとっくに過ぎていた。


12月22日(水)
昨夜は深夜移動だったので、朝は遅めに起きた。
今日はみんなで交代で付き添うことに。
午前中はイトコ達が付き添っていたのだけど、
祖母は意識はハッキリしていて、昨日の夕方より調子がいいみたい。

午後、ワタシ達も実感。
声は出せないものの、呼びかければ
首を縦にも横にもふれ、YES/NOの会話はできる。
目も見えてるみたいで、ワタシ達がわかるようだ。
お見舞いに来てくれた親戚の顔もわかるようだし、とても喋りたそうだった。
喋れないのがまたツライんだろうなぁ。

今日は沢山の人がお見舞いに来てくれたし、
夕方には疲れたみたいで反応が鈍くなっていた。
しかし、呼吸や数値は安定していた。
だけど、もう、「がんばれ」なんて言えないよ。
こんなに頑張ったんだもの。



12月23日(木)
昨夜と変わらない様子だったけど、今日は意識がハッキリしていないみたい。
モニターの数値も昨日より少しずつ下がっているようだ。
夕方にイトコ達と交代して、夕食後、
オッサンだけ交代しに病院へ戻った。

交代して10分ほどでオッサンからメール。
夜の当番の予定だった義母が仮眠を取っていたのだけど
その義母を起こして、すぐに病院へ来て欲しいという。

義母は、とりあえず様子を見てくるから待ってて、
と言って出かけた。

心配しながら待つこと数十分。
オッサンからすぐに来て、と電話が入り、
ワタシは義父と共に病院へ向かった。
病院の入口で叔父家族もちょうど一緒になり、
病室へ駆けつけると、涙も拭かずにいるオッサンと義母の姿が。
既に祖母は息を引き取ったようだった。
まだ温かい祖母の体。
ワタシのほうが冷たい手をしていた。

家族が全員揃ったところで、死亡宣告。
21時8分。
(本当に息を引き取ったのは20時57分だそうです。)


みんなで体を拭いてあげて、ワタシは髪を洗ってあげた。
看護師さんが着替えを済ませてくれて、自宅へ帰る。
もってあと10時間程度、と言われてから2日間。
きっとイトコ達やワタシ達を待っていてくれたんだ。
そして昨日一日はみんなで一緒に過ごせるまで頑張ってくれたんだ。
おばあちゃん、家に帰れるよ。良かったね。
みんなで一緒に帰ろう。


夕食後の交代のとき、オッサンと一緒にいてあげればよかったかな。
オッサンは、最期を看取るのがツライと言っていたのに。
病院で会うと泣いてしまうから、亡くなったと連絡を受けてから
横浜を出たいと言っていたのに。
見る見る衰弱していく祖母を、義母が来るまで一人で
目の当たりにしていたのは心細かっただろう。
ワタシが横浜から連れ出してしまったのに、
最期をワタシが一緒にいてあげられなかった。
だけど、おばあちゃんはきっとオッサンに見守られて幸せだったよね。

今夜は長い夜になる。


12月24日(金)
荷物を整理していると、祖母のメモが。
自分の死後、遺品の処理について、葬儀について等
それはそれは事細かく書かれていた。
そのなかに手紙(日記?)もあって、
孫は3人のはずなのに(オッサン、イトコ2人)「孫4人」と書かれていて
その文字のとなりに「はにちゃんも含む」と書かれていた。
改めて、とても可愛がってくださっていたのだなぁと感じる。
悲しい中にも幸せだなぁと思った。


12月25日(土)
入院中は、みんなで交代で付き添い、
亡くなって自宅に帰ってきてからは、お線香の火の番を交代。
ワタシも今朝は早朝3時から交代で火を見ていた。

祖母が入院していた2ヶ月、叔父夫婦や義母は大変だったと思う。
せめてこの数日お手伝いが少しでも出来たのなら良かった。
叔父は、疲れているだろうに
「ばあちゃんと一緒に寝れるのは今夜が最後だから」と
祖母の傍らで寝袋に入って寝ていて、ワタシはそれをぼんやり見つめていた。

そして午後から納棺をして祖母の亡骸は葬儀場へ。
今夜はお通夜です。


12月26日(日)
もうこの数日、泣きに泣いたし、
これ以上泣くこともないだろうと思ったけど、
やはり、見るにつけ、聞くにつけ、こみ上げてくる。
お嫁に来てから数年しか経っていないし、
年に数回しか帰省していないワタシ達だけど、
それでも思い出してみたら、祖母とはたくさんの思い出が残っている。
お買い物も行ったし栗拾いもしたし、一緒に温泉にも行ったね。
背中にペタペタ湿布を貼ったりもしたっけ。
毎回、ワタシの実家の両親のことも気にかけてくれていたし、
何を思い出しても、自然と笑みがこぼれてくる。
それなのに、どうしても涙が止まらない。

さよなら。

ワタシ、オッサンを、義両親を大事にするね。
おばあちゃんが大切にしてた人を、ワタシも大切にします。
ありがとうございました。
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